日別アーカイブ: 2016年5月8日

自分史4

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ナザレ園訪問は14回。
農園をはじめた年の訪問で最後になった。訪問は必ず釜山フェリーを利用したのは、日本人妻も玄海灘を船で渡られたから船旅にこだわった。
約600名、韓国国内に日本人妻が残されている。ナザレ園はキリスト教徒の寄付で運営され定員は30名。
園では日本人妻に定期的に現金を送金して、領収書で安否確認をされ、定員に欠員ができたら生活に困窮されている人から順番に入園手続きをされていた。
園の慰問滞在は2時間。食堂におばあさんが集い、一緒に唱歌を歌ったり炭鉱節を輪になりおどったり。
日本に一度は帰ったが、朝鮮に渡った理由で戸籍を死亡あつかいされた人もいると聞いた。最後の訪問で下関長府出身の方が、長府の話を聞かせてくれとせがまれた。
園を去るとき、おばあちゃん逹が必ず玄関を出て門までお見送りしてくださる。田畑義夫の「帰り船」の合唱に毎回涙が出る。

創設者の金龍成先生ご夫妻が、夫妻としてはじめて観光で訪日するのでガイドを引き受けてくれないかと、園長の宋美虎(虎年生まれ女性)から相談をいただいた。
帰国した夜。たまたま山口市に鍵山社長が講演で滞在されていたのでご相談した。
九州観光コースがその場で決定した。別府など北部はイエローハット。鹿児島など南部は鎌田建設社長が旅館と案内を担当。わたしは車の運転手に決まった。
鹿児島妙見温泉は、料理の宿「石原荘」。別府は鉄輪温泉で広大な庭園の老舗「神和苑」など一流旅館がセットされた。
金龍成先生ご夫妻に宋美虎園長が随行。金先生と宋園長は日本語が堪能。
金先生と神和苑で露天風呂をご一緒させていただき、風呂あがりに少しのビールをいただきながら先生にお尋ねした。

お父上は日本兵に殺されたと聞きました。けれども、その日本人の女性を、当時は韓国の人から後ろ指を指されながらもなにを理由に保護されたのでしょうか。

それは、韓国の男性を愛してくれ海を渡ってくれた女性が、行き場のない苦労をされていたら助けるのが韓国人のつとめです。
と語られた。

大分イエローハット中津店が新規開店で、矢野社長の案内でカー用品を見学されお土産にたくさん買われた。

わたしにとって光栄な運転手をつとめさせていただいた。