日別アーカイブ: 2016年5月12日

自分史8

2年前入力。石原先生は故人となられた。

山あいにたたずむ一軒の農家。わたしの手元に水彩画の作品がある。描いたのは東京でデザイン事務所をされている石原忠幸先生。

先生とのご縁から記憶をたどってみる。
ある女性の出版を手がけた「命は生かせる」がタイトル。表紙をどうするか悩んだすえ「絵」を使おうと思い、菊川画廊にはじめて足を運んだ。目的を話したら菊川さんから予算を尋ねられた「5万円以内」と正直に言うと「無理です」と正直に返事をされた。本の内容が読める校正用のプリントは菊川さんに差し上げて「絵」はあきらめた。その足で高速道路で宮崎出張に向かった。
宿泊先のホテルで夜に菊川さんから電話を受けた「足立さんが帰ったあと、個展の打ち合わせに石原先生が来られ、本のプリントを読まれ、僕が引き受けましょう。そうなりました!」後日、石原という人物はホンダNSX(スポーツカー)のカタログデザインを手がけた有名な方だった。
1ヶ月ほど過ぎたころ石原先生から「明日の午後、作品を渡しますから、小郡駅で会いましょう」翌日、はじめて先生と駅でお会いした。小柄な初老の紳士。喫茶店で「むらさき露草(題字も先生)」の作品を預かり、印刷の色指定について細かな打ち合わせをして、先生は折り返し東京に戻られた。5万円の支払い作品をわざわざ持参された。
本が完成し作品の支払いをしなければならない。石原事務所に銀行口座を聞いて5万円を送金すればよい。けれども5万円は手渡すのが今回の筋だと考えた。石原事務所に先生の居場所を確認した。長野善光寺近くの画廊「ロートレック」で個展中。わたしは名古屋から中央本線で長野に着いた。駅前の宿で泊まり、早朝に善光寺参拝。ロートレック画廊はすぐ見つかった。画廊の主が「石原先生は急用で昨夜東京に戻り、今朝の電車で長野駅に着く」着く時間と、わたしが予約した東京行きの電車の出発時刻を比べたら、10分ほど駅のホームで会えるとわかった。
ホームで先生を見つけて5万円を渡し、用意した領収書にサインをいただいた。
わたしの仕事は終わったが、石原先生の身辺でなにかあると電話がかかるようになった。
独身で芸術の道ひとすじに生きてこられた先生が困り果てたときなど「遊びに行ってもよいですか」などと電話をくださった。
現代画廊で、スペインの個展をされ、終わった日。特に大切な作品2点はご自分で持ち帰られた。マンションの鍵をあけるとき中で電話が鳴った。作品を廊下におき電話に走り、電話が終わったとき廊下の作品は消えていた。
画廊の菊川さんとわたしで話し合い、石原先生が宇部に立ち寄られたら励まそうと決めた。
後日、私たち3人で別府1泊旅行に出た。別府温泉のなかでも古さは一番の宿、木造三階旅館(田の湯)。食事は朝夕とも宿はつくらない。外食をすませ風呂に入り、部屋の暖房の効きが悪く、3人とも布団を頭からかぶりコップ酒を深夜まで飲みながら芸術や人生を語った。

農園のスタートイベントは7月20日。石原先生個展は同じ20日まで菊川画廊で開催されていた。
イベントには大勢のお掃除仲間が全国各地から来てくださった。歌手の梅原司平さんも出演を依頼して小野公民館でコンサート。農園で祝賀会宴会をした。
前日、石原先生に会いに19日に菊川画廊を訪れた。先生は喜んでくださり作品の説明をしてくださった。特に2階の風景画の説明は長かった。

この絵を描いていたらおばあさんが近寄って来られた「年齢はちがうが、絵を描く人をみたら息子を思い出す」おばあさんの家に招かれお茶をいただいて息子さんの話を聞いた。

おばあさんの息子さんはカメラマンだった。趣味で絵もたくさん遺して東名高速道路で仕事中に事故で亡くなった。

わたしはカメラマン・絵・東名高速道路事故で思い当たるふしがあり石原先生に尋ねた「この作品の現場はどちらですか」と「岐阜県の恵那市です」わたしはさらに尋ねた「先生、おばあさんの名前は土方さんではありませんか」

先生の顔色が変わった「なぜ足立さんがおばあさんの名前をご存知ですか!」

その半年まえ、伊勢神宮掃除に学ぶ会が鍵山先生の願いで開催された。五十鈴川で禊。内宮、夜の月例祭参拝。境内のトイレ掃除。すべて終わり参加者約20名が、今回の伊勢神宮に参加した理由(願い)を発表する場面になった。岐阜県恵那市から参加された田中義人さん夫妻に発言の番がまわった。奥さまの美鈴さんが話そうとされたが言葉が出ない、大粒の涙があふれるばかり。ご主人の義人さんが奥さまを代弁された。
奥さまの弟さんはカメラマンで、伊勢神宮の月例祭を撮りに来られた。その帰り道、東名高速道路で事故に遭い亡くなられた。奥さまは弟が最後に仕事をした現場、内宮の月例祭が拝めると聞いて参加を決めた。それが理由だった。奥さまの旧姓は土方。

石原先生にお願いした。明日の夜(7月20日)土方さんの娘婿(田中義人さん)が農園に岐阜県から来られます。この作品をご覧いただきたいのです。拝借させてください。

作品は農園に持ち帰った。20日、田中義人さんが岐阜県からお祝いに来てくださった。部屋に入り目についた作品に「これは家内の実家の風景によく似ている!」

訳を話したら「この作品を買います。母にプレゼントします」と持ち帰られ価格の18万円を画廊に送金された。

しばらくして買われた作品と一冊の本が農園に届いた。
本のタイトルは「いのち輝きて 土方邦順の追想集 1959〜1998」
彼の生前の写真と絵で綴られた偲び草。

手紙には
母は石原先生と農園の数奇な出会いに驚きました。
けれども作品は、わたしの手元においても、わたしがいなくなれば理由がわからない。
だから作品と偲び草を足立さんにいただいてもらい、農園に来られた方に話していただければ息子が遺した人生が人に伝わる。
いただいてください、母の頼みです。

この物語は、農園に来られた人全部ではないがほぼ伝えている。これからも。