日別アーカイブ: 2016年5月17日

自分史 13

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久住掃除に学ぶ会

大分県久住町で掃除の会がはじめて催されたときお手伝いに行った。
大分県は、大分イエローハット矢野社長が各地の公共施設を掃除されており、久住の関係者はそれがきっかけになった。
町役場に自治省から派遣されたYさん(総務課長)と地元の医師が立ち上げた。役場は相当古く、入り口は手で左右にガラガラと開ける。便所も歴史を感じる汚れだった。Y課長は新庁舎建設計画を立案されていた。
2時間、ひとりがひとつの便器に向かい磨きあげた。感想を述べあう場になった。Y課長が目にいっぱい涙をためて 古い庁舎を崩して新しくする計画を止める決心をしました。古いものを大切に磨き込んで使う意義がわかりました。建設計画は頓挫した。
前夜は久住高原の温泉ロッジに泊まった。各地から応援の掃除仲間が集まりロッジは貸切りだった。
夕方、高原のロケーションが満喫できる温泉にほろ酔いで行った。脱衣場入り口のスリッパは多かったが整然と揃えていた。さすが掃除仲間は履き物を揃えて心を揃える意味を知っているわいと上から目線だった。脱衣場に入り脱衣カゴに衣類がたたまれて入っており、いま入浴中の仲間に教わることがたくさんあると感じた。

レストラン キャプテン

掃除に学ぶ会の機関誌「清風掃々」の創刊を、わたしに任せていただく光栄をいただいた(平成9年)。
お盆休み返上でその編集をしていた午後、当時「浜勝」の元岡社長(掃除の会)が、宇部店に来たので今夜は宇部に泊まるから夕飯を一緒にどうですかとお誘いをいただいた。
長崎が本店でトンカツ店を50店舗以上も経営されている、わたしには経営の神様のような方。わたしが常連の市内港町の鉄板料理店キャプテンを2名で予約した。
夜、元岡社長とキャプテンで合流。コースの料理が出てきてワイン出て会話が弾んだ「このお店は素敵ですね」と何度か言われた。客はふたり、シェフの主人と子供を背負って給仕する奥さま。どこが素敵かわからないまま「このお店は素敵です。奥さま、お店で一番おすすめの赤ワインをボトルでください」と元岡社長。
わたしは財布が気になったが、支払いは明日でもよかろうと腹を決めてボトルにつきあった。
支払いは、わたしを制して元岡社長がされた。お釣りを渡す奥さまに「あなたの働く姿がとても素敵でした。ご馳走さまでした」と頭を下げられた。
子供を背負ってまで働いてもお客さまは少ない。レストランで子供を背負っての接客は無理かもわからない。あずけるところもない若い夫婦は行き詰まっていた。
レジで奥さまがしゃくりあげて泣かれた。
その夜を契機にキャプテンの腰が定まった。数年経って若い夫婦は、熊本の元岡社長(レストラン・ティア)を訪ねて、あの日のお礼をもうしあげられた。

タマゴが営業する

農園をはじめたとき元岡社長がお祝いに来てくださった。
わたしの手を握り力強い口調で「タマゴの営業はタマゴがしなくてはなりませんよ!」
売る戦略より、よい商品をつくることに力を入れよと激励を受けた。

仏壇はどこか

わたしが御大と呼び尊敬している唐戸魚市場相談役 松村久さん。
御大の萩時代、中学校の同級生だった上田さん。上田さんも私の恩人。
上田さんの自宅は、防府市の旧山陽道沿い旧家。庭を愛でて「ふく」を食べようの企画が整った。
わたしは少し早めに着き、格式の高さに居心地が落ち着かない。松村夫妻が「ふく」の大皿を何枚も持参。御大も初めての訪問のようす。靴を脱ぎ「仏壇はどこか」と尋ねて、はじめの挨拶は仏壇。それが御大の流儀と知った。
あの夜は日本酒を、足が萎えるほどいただいた。小郡駅までわたしを送る貴美さん(御大夫人)運転の車を国道脇に停めさせ御大は小便。肩を貸した私の足は萎えており、小便の草むらに転がった。
明くる日の夕方、ゴルフを終えた御大から「ゴルフは優勝した」の電話。

海将の思い出

小野田市に「食べ処
海将」があった。ある夜、今週からタマゴを納めてくれないか。唐突な電話があった。単価など説明していたら「単価はなんぼでもよい」と言われた。農園で障がいをもった人が働いていることに共感された口ぶりだった。私より20歳ぐらい若い夫婦の繁盛店。いつもはっきり考えを口にできる大将。
あるとき、きょうは雨が降るから客が少ないとか、雪とか暑いとか、客が来ない理由を天気のせいにする者がいる。その店は繁盛しないと思う。客は店の味と接客に動く。天気は関係ないと言いきった。

大将は奥さま実家の家業を継いでほしいと頼まれ、繁盛店を半年計画で閉めた。男の美学を生きていた。

鎌田社長

鹿児島掃除に学ぶ会を立ち上げられた鎌田建設の鎌田社長から遊びに来られませんか。とお誘いをいただき国分市の本社を訪れた。
鹿児島県下ではナンバーワンの建設業で、銅板葺きの立派な社屋のそばにはアリーナ。自衛消防隊の機庫には消防車が並んでいた。地元の災害には会社組織が消防署に協力する体制が整っていた。

行きましょうと、わたしを先導して走る社長の車はピカピカ年代物のトヨタセンチュリー。
霧島温泉の料理で有名な宿に案内され、鎌田社長から白濁のお湯で鍵山先生のお人柄をたくさんうかがった。
料理が部屋に運ばれ郷土の味と酒に満足した。9時を過ぎたころ、明日の朝5時から地域の清掃をします。私は帰りますがゆっくりしてくださいと言われた。そして宿の浴衣を脱ぎ着替えたあと、浴衣と帯をたたんでカゴにおさめて宿をあとにされた。
私が浴衣をカゴに入れるときは、それまで足だった。

鍵山先生

農園に何度も鍵山先生にはお泊まりいただいた。
あるとき、ゆっくり一泊され宇部空港から発たれた。空港までは仲間が運転してくれ、先生をお見送りしたわたしはほっとしてビールを抜いた。
空港に着く前に先生は、わたしの自宅に寄りたいと言われたらしい。自宅で私の母に 足立さんにお世話になっている鍵山です。と挨拶されたとあとから知った。
やれやれとビールのわたしと、母親にお世話になっていますと挨拶に赴かれたおおきな差。鍵山先生からたくさん学び、実践はわずかであるが目標。