日別アーカイブ: 2016年5月10日

自分史6

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神戸震災のとき、拠点の浜山小学校避難所から金光教岬教会に参拝をしていた。4月、春の岬教会大祭で、兵庫県立こども病院の坂本医師(副院長)とご縁ができた。わたしは出版業の名刺を差し上げていた。後日「学会に出す論文を本にしてください」と連絡を受けた。先生の専門は小児水頭症治療で世界的に著名な先生だと知った。

4月末で避難所が閉じられ復興祭という区切りの催しがあり、神戸を離れた。
宇部の街で、わたしの信心の先輩と近隣の金光教教師3人で酒盛りをした。なぜそうなったのかは思い出せない。
二次会にわたしが誘うと教師が「わたしは帰る」と言う。理由を聞いたら。
ご信者さんの夫婦が女の子を授かったが、水頭症と診断された。1週間後に市民病院で手術がおこなわれるが、医師団は新生児の困難な頭の手術ははじめてらしく、教師は毎日手術の成功を神様に祈願している。だから早く帰る。
わたしは酔っていたが一気にさめた「先生。明日お電話します。神様がお力添えくださるかもわかりません」

明くる朝6時を待って、神戸の坂本先生ご自宅に電話をした「これから信州大学に講義に行きます。今夜のホテルを教えますから9時過ぎてお電話ください」

9時に電話をして、手術を受けるSちゃんの状況を伝えた。できれば坂本先生が引き受けてくださる場面を期待しながら。

お返事は早かった「わたしが執刀します。久留米の聖マリア病院に優秀な仲間(Hという金光教信者)がおります。市民病院にはわたしが話をします」
わたしは成り行きに任せ手術が終わって数日後、久留米の聖マリア病院を訪ねてはじめてSちゃんと母親に初めて対面した。それ以来の関わりはなかった。

農園をはじめて、隔週でたくさんご注文くださる方があった。お届け先は自転車屋さん。どうも大勢がこの店を中継されているように思いながら数年通った。あるとき注文されている婦人と自転車屋で遭遇した。このお店が婦人の実家「足立さん」とわたしを呼ばれたが記憶にない「お世話になったSの母です」

わたしの転身に驚かれ、わたしはご縁の深さに驚いた。まさに神様の懐に抱かれての出来事でしかないと感じた。

◆先日、21歳を迎えたSちゃんとご両親が農園に来てくれた。Sちゃんは身体の成長にともない6回もの手術をした。