金曜日の午後


1月14日金曜日。防府市内から農園にもどる1時半ごろ「西君が川に落ちて、いま救急車がきました!」家内から悲鳴のような電話で血の気がひいた。農園に急いでもどる途中で宇部の医大に向かう救急車とすれ違った。農園川土手では小雪の舞うなかでレスキュー隊員が片付けをしていた。
3月11日金曜日。防府市からもどる3時まえ、たまたまいれたラジオは「予想される津波の高さは10メートル!」 を繰り返していた。農園にもどりテレビをみたら、大きな船が市街地で暴れていた。平野に押し寄せ家屋やビニールハウスや乗用車を押し流す茶色の津波映像は、西君のときとおなじで「悪い夢をみた」であってほしいと念じた。
その師走の金曜日。防府市をすませて母のもとに行きながら、緊迫したふたつの出来事を思い出した。母はよく寝ていたがおこして会話をかわした。大正8年、出雲の斐川町でうまれた。なぜか中国語がわかる。ぐらいしか母の過去は知らない。不思議な親子かもわからない。洗濯物を預かり手を握ってわかれた。