懐かしい友から電話


お昼前、下関市内のお宅に配達をして会話を交わしているときに着信した。登録のない番号は前の仕事で苦楽をともにした高山君(現在・森山)だった。彼は5~6年前に出雲市の金光教教会に養子にむかえられた。先日韓国知り合いからわたしと高山君の連名宛名だったので読み終えて転送した。彼は49歳になった。肥満の体重は維持している。いろいろ苦労はある。と近況を手短に話して会話は終わった。
日本を美しくする会の会報「清風掃々」の創刊から3号ぐらいまでわたしがつくり農園。そのあとを高山君が引き継いでくれた。そして現在は杉本理恵子が立派な内容で継続している。その12号が夕方農園に届いていた。鍵山先生が男子便器に素手で向き合う写真が表紙となり、書店で平積みしてもそん色のない装丁と内容になっていた。この日曜の夕方、約1年半ぶりに杉本が農園に夕方来てくれる。
ラジオで「ふつつかな娘ですが・・・」と挨拶をする新婦の父親があがって「ふしだらな娘ですが・・・」と挨拶したとか。大笑いした。