ムーミンパパ


鍵山先生が「心を磨く掃除」をおひとりで実践されているとき、岐阜県恵那市で大正村興しのメンバーが先生を招いて第一回大正村掃除に学ぶ会を催した。このお掃除の輪が全国、全世界にひろがった。
山口県では当時イエローハット店舗展開をされていた垣内紘一さんが「掃除」の旗を振り始めた。まもなく賛同者が集まりだした。
今朝も垣内さんはランニングシャツ姿で国道沿いの歩道を掃いていた。むかし松村御大や垣内社長たちと屋久島を歩いたとき、垣内さんのスタミナに驚いた。風貌がなんとなくムーミンのようで、わたしはムーミンパパと呼んだ。もう70歳に近いだろうに元気!
田畑義夫がきのう亡くなった(母と同年齢)。舞鶴、仙崎に博多港に満州や朝鮮から海を渡り、着の身着のままで祖国に引き揚げる人を歌った「かえり船」が代表曲。わたしは全部歌える。
祖国に戻りたいが帰れない韓国慶州ナザレ園の日本人おばあちゃんを10数回慰問した。帰りぎわおばあちゃんたちが園の門まで両手をふって見送ってくれ、そのとき歌ってくれる「かえり船」死んだら魂は海を渡ると、ナザレ園では望郷の歌だった。
金曜日の全部が終わった。