いくつになりますか?

週明けに聴覚障害があるミユキさんが持ってきた「交換ノート」に休日の様子が3行ほど書かれてあった。

叔母の運転で家族4人とともに「しまむら」で洋服を買い、回転寿司を食べたようだ。最後の行に「7月19日はミユキの誕生日だからです」と理由が付け加えられている。

私は所々にアンダーラインを入れ返信しながら、最後に理由が書いてあるところが、自分がメモ書きする仕事指示に似ていることに後で気がついた。

彼女に指示を出すときに、はじめに理由を書くと仕事内容が正確に伝わらないことがあり、一日の仕事を箇条書きした最後に「暑さで鶏の食欲がないので」とか「明日は雨ですから」など理由を添えて渡している。

本来なら理由から教えた方が良いのかもしれないが、今のような習慣がついてしまったのは私の「伝えよう」という姿勢の弱さかもしれない。

その良し悪しは別にして、彼女が精一杯の内容で誕生日を迎えることの喜びを表現してくれたので、お祝いの言葉と「今年でいくつになりますか?」と尋ねてノートを返却する。

翌日、彼女からの返信に「今年で36いくつになります」と強い筆圧で書かれている。「何歳になりますか」と尋ねるべきだったが、前後の内容から彼女なりに尋ねられていること察して、このような答え方になったのだろう。

二人だけのノートなので伝えたいことを理解してもらえば良く、あえて間違いは指摘しないまま「よくわかりました」と返信したが、数日間、このやりとりが心の中で引っかかった。

もう少し踏み込んで間違いを訂正するべきだったか。それとも、仕事上は問題ないので、このままで良かったのか。

農園で共に働く時間が長くなるにつれ、彼女がひた向きに生きる姿を感じることが増えてきた。今回のノートからも、何気なく書いている文字を、彼女が感じとり、理解しようという姿勢がよく伝わってくる。

仕事に追われる毎日ではあるが、私の「伝えよう」という姿勢を見直し、もう一歩踏み込む勇気とやさしさを持つべきだったと反省した。

あだちまさし。