舞台が動く気配


小野田市の会社、社員食堂に配達した。おばさんが考えごとをしている表情「どうしたかね」と声をかけた。
この会社で数年働いていた中国青島の青年をお世話した。帰国のお別れは下関港。お互い泣いた。その後彼はおばさんの養子になる決心をし両親も説得した。
ところが書類申請に難儀をして、今月19日におばさんは青島に行き、何日かかっても中国の役人に気持ちを伝えて解決する覚悟を決めていた。しかし初めての中国におおきな不安がある。
松村御大のご縁で青島と行き来が頻繁な下関のHさんにその場で電話した。偶然Hさんも19日に青島に予定があった。
今夜おばさんとHさんが連絡を取り合われる。舞台が動く歯車になれたような気がした。