日別アーカイブ: 2016年7月21日

みつくん

朝6時。気温20度。晴れ。Iさん休み。先週から2人に連休をあたえるため変則的に仕事を進めている。休みを決めたのは私だったが、ヒナの受け入れ準備で鶏舎を清掃する作業が頭の予定から抜けており、休みを決めた数日後から頭を痛めていた。

2日前、Fさんに本日、木曜日の予定を口頭で伝えていたが、昨日の夕方、彼からのショートメールを見ると、私が伝えたかったことと、彼が受け取ったことの間に少し違いがあるようだったの「後ほどメールします」で一旦終わり。

配達を終え、自宅に帰ってからパソコンで木曜日の仕事内容を順序立て、彼の仕事、Yさんの仕事、私の仕事を時間に添って、箇条書きにして、一旦私の携帯にメールで送信しコピー。カット&ペーストを繰り返しながら12通のショートメールで彼に伝えた。

時間のかかる作業で少々疲れたが「これでわかったか?」的な表現にならないよう、できるだけ細かく親切に文章を作ったつもりだったので、彼から返信があり、良いやりとりが2回ほど出来ていたので安心していた。

自分の思い描いたように一日の仕事は進んで行ったが、昼前にヒヨコ屋さんが来園。九州の業者さん、年に数回いつもアポなし。同業者同士、横の繋がりがない業界なので、九州各地を営業され、豊富な知識で勉強させていただくことが多いので作業の手をとめ、木陰で立ち話。様々な養鶏場を営業されるので羽数、飼育方法、販売方法をちょっと話すだけで状況を把握される。10年以上の付き合いになるスキンヘッドSさん。アポなし訪問ではあるが、時間はいつもキッチリお昼前。私の仕事内容を把握されている。

昼休みに消化する仕事が手元に多く残っていたが、せっかくの機会なので30分ほど意見交換させていただいた。少々収穫あり。

予定より30分遅れで配達に出発し、少しお客さまにご迷惑をおかけしたが、その都度、頭を下げお詫びしながらの夕方の配達終了18時半。

昨晩、風呂上りにTシャツ、パンツ姿で車でゴソゴソしていたところ「だっちん久しぶり」の声。道を挟んで斜め迎いの同級生「みつくん」

「久しぶりじゃねぇ。飲もうか?」「ええねぇ〜」で、お互い冷蔵庫からビールを持ち寄り、私の車の後部ハッチドアを開け、荷台に並んで座り乾杯。わたしは「クリアアサヒ」2本。彼は「これぐらい贅沢させてもらわんにゃぁ」と言いながら「プレモル」2本。年下の奥さんは看護士。小学生の息子2人。

10年ぐらい前、彼の結婚を機に漁業を営むご両親が新築された。両親どちらかが倒れると漁に出ることが出来ないので、漁業を廃業したら同居する約束になっていると聞いている。

同級生と行っても「大親友」というわけでもなく、中学校を卒業してからは、ここで出会うまで話をした記憶はないが、小学校3年は同じクラスで、西光寺近くから奥に入った細い路地の先にある実家はよく遊びに行った思い出がある。

夕方から漁に出られる父親が就寝中なので、家ではいつもヒソヒソ話。居間には両親が貯金箱代わりに小銭を貯めていた「特大のウイスキーレッド」の空き瓶があり、静かにフタを開け、硬貨の音をさせないよう二人でズッシリ重い瓶を傾け、お小遣いを頂戴するのが日課。その作業が終わると近くの小店で「かっぱえびせん」を買って、床波漁港あたりでよく遊んだ仲ではある。

ただ、私にとって「みつくん」が特別なのは、5年前の正月に2日間アルバイトで農園で作業をしてくれ、今でも「何かあったら呼んでねぇ」と声をかけてくる大変ありがたい隣人で同級生。

ビールを飲みながら地元の「知っちょる話」を聞かせてもらい、2本目をプッシュとしたあたりから、ご両親の漁業の話を聞く。漁獲高が下がっているのはよく耳にするが漁師の息子が語る話は説得力がある。穴子を捕りに宮島近くまで行きよるとか、百個落とした蛸壺に蛸が一匹しか入らんかったとか。捕った魚は出来るだけ高値で買い取ってくれる市場に持っていくとか。70歳すぎのご両親の姿を思い浮かべる。

年のせいで最近では遠くまで船を出さないらしいが、彼が小学生の頃は、大分国東半島あたりは庭みたいだったらしく。彼も鰆を捕りに、一緒に船に乗ったことがよくあったらしい。お互い酒も入り、しゃべる方も声が大きめになり「それがねぇ、すごいんちゃぁ」を連発しはじめ、聞く私も「それで、それで」と鼻息が荒くなる。

大分の漁場へ向かう途中、漁船の上にはカモメが飛び回り、イルカの大群にあったり、手が届きそうなところでスナメリが泳いだりするんちゃぁと「すごいんちゃぁ話」がマックスまで盛り上がり、もう一本と思案中に彼の家が真っ暗になったのでお開き。

良い気分転換させていただきました。ありがとう。

あだちまさし