神戸の日


震災当日の報道をみて19日。三田市の親友、香山益夫君の案内で六甲トンネルから黒煙のたちのぼる市内にはいった。それから4月末、兵庫区浜山小学校避難所が解散するまで、被災したみなさんと生きた。
火・水・灯り・食い物に笑顔がない直後から数週間。最初は個人のエゴが衝突し、同じ地域の人同士が殴りあいをする場面もあった。トイレの問題を解決するころから、ここで生き抜こうという雰囲気がではじめた。浜山小学校で学んだ凝縮された人間模様がいまわたしの背骨になっている。
大災害や被爆からも悲しみをこえて人々は生きてきた。わたしはいまが力の出しどころ。
神戸に手伝いにきた宮崎弁の牧君。年末に西君・藤野先生家族と農園で楽しい時間をすごした。牧君からも西君にお悔やみの言葉をいただいた。