宮崎から加勢に感謝


神戸の浜山小学校避難所で3ヶ月以上一緒に奉仕をした牧君。ヤマハの大型バイクで東京から走ってきたが言葉が宮崎弁。20代の青年がこれだけ方言をつかうことが印象的だった。わたしは宮崎に年間60日ちかく仕事(半分は宮崎好きで観光)に通っていたので仲良くなった。わたしが神戸に持ち込んだ2トントラックは、卒業記念に6年生が車体にヒマワリなど花をペンキで描いた。そして車名を「宇宙船浜山号」と子供たちが命名した。倒壊した家から家財道具の運び出しなど浜山号は活躍したが車検がきれた。牧君とも話し「神戸で廃車より、宇部まで運んできれいに洗って神様にお礼を申してスクラップ」ということになり、牧君が運転で宇部まで高速道路を走った。その後、彼と屋久島に行ったりでご縁が深くなり、農園の盆や正月には仲間と来て手伝ってくれる。今回は宮崎の佐伯君を同伴で働いてくれた。今朝、彼らは宮崎に発った。ほんとうにありがとう!