まだまだ元気!


2時起床。録画の番組を観終えて朝食。犬の世話は泊まってくれた家内に頼んで4時半、島原に向けて荒天のなかを走り出した。
楽に行くには九州道「南関IC」をおりて長洲港。島原フェリーで40分揺られて国見に上陸が最短。しかしフェリーは欠航。長崎道を諫早ICで降り、国道を1時間走るコースしかない。
体にハンディをもつ人たちと苦楽を共に生きる実践者。原留男さんは、普賢岳災害で知り合い、わたしの生き方を動かした。86歳で足と耳が特に不自由になっておられた。島原に福祉施設をつくる情熱にわたしも精一杯のことをした。きょう話してみたら原先生はいまの私の年齢だった。40代の元気盛りのわたしを相手に酔いつぶれるまで呑んだ回数はたくさん。いまのわたしは語れるほどの夢はなく、若い者と酔いつぶれることもなく漫然と毎日を生きている。2時間、補聴器の先生と思い出話しはなく、これからの話ができた。
特攻隊に志願。鳥取県美保基地で飛行訓練を受けたが、特攻に行く飛行機がなく、どうしても行きたいと願い、山口県柳井市で特殊潜航挺の訓練中に終戦をむかえた話もあらためて聞いた。
俺の孔雀の間に来いとはじめて誘われ行ったとき、あまりに汚れた部屋に「孔雀ではないグジャグジャの間」とわたしが命名した部屋は健在だった。
12時間半で650キロ走行の1日が終わった。