親先生

「祈って下さっている先生がいる」私は、この安心感のうえに今日までお育ていただいた。

私を含め、多くの信者さんの立ち行きを一心に祈り続けられた金光教宇部東教会の立川和正先生が5月9日ご帰幽された。

心の準備はしてきたつもりだが、ご祈念される和正先生の後姿を思い出すと寂しさが募る。

我が家は金光教を信心させていだいている。ご神縁を頂いたのは宇部東教会で、私は母親の胎内に命を授かった時から先生に祈られてきた。

教会のご神前と広前の間にはつい立で仕切った小さな机がある。これを、神と人とをつなぐ「お結界」といい、教祖さまのお手代わりである先生は、日々、そこに座り、参拝者の悩みや、さまざまな願いを聞き取り、参拝者の心に寄り添い祈られ、「み教え」に基づいた生き方、ご理解をわかりやすく説いて下さる。これが金光教の営みの中心である「お取次」という。

身の上相談やカウンセリングと似ているようで少し違い、祈祷で痛いところが治るのとも違う。語弊があるかもしれないが、静かに心を神様に向け、先生と共に祈り、天地の摂理や有り難さを気付かせて頂くのが「お取次を頂く」ことだと、自分なり解釈している。

私は、和正先生のお取次から「生きるヒント」を数多く与えていただいた。それは「こうしなさい」という押し付けではなく、いつも温かく見守り、一心に助かりを祈る後姿で教え導いて下さった。

和正先生への感謝の気持ちを忘れることなく、「育てられた」という自覚を強く持ち続けることで、私にできる働きが見えてくると思う。御霊さまになられてもお導き頂けるよう、これからも祈りすがっていきたい。

2019.05.26 あだちまさし。