きょんぼうから便り


市町村の会議録調整会社を創業して辞めるまでの20年、わたしを支えてくれた高山清。わたしは「きょんぼう!」と呼んで弟のように接していた。創業とはゼロからの出発で、なにもわからない業種に挑戦してふたりで苦労し、儲けたら飲んだ。
わたしが養鶏に転職して約10年、彼は金光教の教師になり出雲でご用をしている。ずっと心配していたら年賀状がきょう届いた「50歳になりました」と。
昭和天皇崩御の20年目。37歳で山口県から九州全域で競合他社とは負けない元気な社長だったわたしは、関西以西の7社に一度会おうと呼びかけた。博多駅に高山と着いたら天皇崩御の号外が配られていた。
高山君とコンビを組んだらわたしの力はいつも全力が出ていた。彼も50歳になった。いちど会って朝まで飲みあかしてみたい。