一日よう働いた!


きのう電話をいただいた新倉敷の趙さんの話題をお客さまにしながら涙がでた。終戦直後にお母さんが大阪から玉島の同朋を頼って来るとき、岡山までの汽車賃しかなく、岡山から玉島まで水を飲みながら徒歩だった。その後にうまれた趙さんは「オモニの追体験」としてなんどか同じ道のり50キロを歩いておられる。この話しをしたら、昔に聞いたときの感動がよみがえり涙がでる。
正志が5時に来てくれた。犬の世話も終わっていつでも草刈ができるけれど薄暗く、5時半から1時間ほど汗をかいてエンジンをまわした。9時半に農園を出て下関から美祢・長門の230キロコースを走りおえた。今夜も熟睡。