命(ぬち)どぅ宝


復帰直後、まだ全部の車が左ハンドルでバスの昇降口もいまの反対だった沖縄で戦没者のご遺骨を収骨し、以後何度も奉仕に参加した。沖縄戦終結後からずっと収骨をされた地元の方から教えていただいた「夜間、切りこみに行くときは軍靴から地下足袋に履き替えていたから、地下足袋の靴底のゴムがあれば遺骨がある可能性がたかい」と「遺骨を発見してもすぐに収骨しては危険。自決用の手榴弾が必ずあるからそれを見つけてから作業しなさい」現場では教えられたとうりの状況だった。住民の自決が軍の指示ではなかったとしたら、車座に座り手榴弾の信管をはずして集団自決したその手榴弾がなぜ住民が持っていたか。教科書検定で「軍の関与」を外そうとする人は説明しなければならない。
午後から農園に通じる道路の補修をユンボと軽トラダンプとスコップでやった。腰が疲れたのでマグネットベルトを巻いて寝ることにしよう。