納得できるわたしの道を


きのう来園した香山君にわたしの心境をはじめて言葉にした。彼とのご縁は金光教である。わたしは中学時代から野外活動をとおして「教会」に通うようになり約30年たくさん学ばせていただいた。天理教の文書布教の拠点「道友社」のような活字で布教する場をつくる目的で、本部がある岡山県金光町に「金光出版」を創業し、現在も文書布教の一翼を担っている。いろいろな思いがうまれて約10年、金光教から離れている。わたしの欠点は、組織のなかで友達ができ、布教という開拓精神に燃えた。そのなかで育てられたことは事実であるけれど、一番肝心な個人的な信仰の部分が抜けていた。お掃除でもそうかもしれない。おおきな情熱をかたむけたスペシャルオリンピックスもわたしのなかで頓挫している。人もわたしも助かる農園という旗印もそうかもしれない。
ゆっくりでよいから、これからは「人がどう見るか」ではなく、小さいことでもわたしが納得できることを、いつまで生きておられるかわからないけれど実践したいと。先日、松村御大に「丁寧に生きていきたい」とメールを出したのもこんな理由がある。