共に生きる

嬉しいときや悲しいとき、壁にぶつかったときや、目の前に道が開けたときなど、心がグッと熱くなる瞬間に、今は亡き恩師の温かい眼差しとやさしい言葉を思い出す。

島原市で障害者福祉に生涯を捧げられた原留男先生の今日が一年祭である。農園で仕事をはじめてからは直接ご指導いただく機会はなかったが、最近、すぐ近くにおられるような錯覚を時々感じる。

普賢岳噴火が縁で18歳の冬に初めて先生とお会いした。漠然と将来に不安を抱き、何に対しても自信がなかったが、目線を合わせて語りかけられる先生の言葉が何故か心に浸みた。誰に対しても同じ姿勢でやさしく語りかけられる独特の「あたたかい間合い」の魅力に惹かれたからだと思う。

先日、偶然というか、必然というタイミングで、20年前に発行された機関紙の中から先生の講演録を見つけた。当時、原先生は70歳。障害児教育、障害者福祉に携わって48年目であったが、講演の中で、「共に生きる」とは易しいようで難しいと語られているのが印象的だった。分け隔てなく子どもたちと真摯に向き合われる先生のお人柄と現場での姿勢が思い出された。

難しいと前置きしたうえで、共に生きるには(共感・共有)を通じて得た信頼関係が必要と述べられている。相手の思いを自分の思いとして共に感じる「共感」する力。同じ悩みを共に持ち合う「共有」する力。共に感じあい、分かち合う中から生まれてくる信頼関係を築かなければ、障害がある人たちと共に生きることは難しいと述べられる。

「共に生きる」と言葉にすると簡単なようだが、本当の意味で心に寄り添い、心を通い合わせるには、常に求め続ける姿勢が大切だと感じた。人と人が繋がりあい、喜び助けあう福祉の原点であり、本来の姿かもしれないとも。

時を経ても、色褪せることなく変わらない原先生の想いに触れることができたことに感謝し、今後ともお導き下さるよう心から祈った。

2019.10.26 あだちまさし