日別アーカイブ: 2014年9月7日

母は完全復活!

昨夜の録画「芙蓉の人」を見終わって、5時から朝食のしたくをはじめた。
日曜日は8時が母の面会。その前に1時間歩いていた。健康のために歩くけれど、そのために日曜日の朝を慌ただしくしなければならないことになっていた。
今朝は歩かず、ゆっくり食べて、犬たちもリードでしっかり歩かせて7時半ごろ農園を出た。
病院5階のナースステーション前が母の部屋。周防灘が眼下にひろがる窓際ベッドで、入れ歯を外して大きく口をあけていた。返事をしない母に声をかけ続けたが、どことなく他人のように思えた。廊下に出て名札を見たら母ではなかった。職員さんに尋ねたら「連絡せずにすみません。きのう大部屋にかわりました」教えてもらった四人部屋で、ベッドを起こしてもらい母は食べていた。廊下のわたしを見つけて手をふった。
8月初旬「会話ができるうちに」と照美さん(京都の長女)がとんできた。あれから1ヶ月で元気を取り戻した。夢のなかと現実が重なるようで、きょうは30代を楽しんでいた。わたしの父親がこれから刺身を食べに連れて行ってくれると笑顔になり。農園の卵は売れるかねと心配もする。金光教太秦教会にお祈りしていただいている御礼の電話。吉部八幡宮のご祭神様にもお礼の遥拝。お世話してくださるスタッフにも感謝。
山口市内の配達を済ませ農園で昼ご飯。缶ビールひと缶で3時間も寝た。予定は草刈りだった。トイレと風呂の掃除はできた。
中国新華社通信が報じている記事をネットで読んだ。
元日本兵の絵鳩毅(101歳)という人物が中国戦線で、日本兵が(慰安婦を殺して、その肉を食べた)という噂を耳にした。と話したらしい。それをネット配信した。
ポートモレスビー(ニューギニア)周辺の島々では飢餓により戦友の人肉事件もあった記録はある。中国大陸で飢餓でそこまでやったのかは疑わしいが、たんなる噂話の程度。
わたしが驚いたのは、この絵鳩毅はシベリア抑留をとかれ、中国撫順収用所に移送され思想改造された日本人の一人であり
中国帰還者連絡会
に名前をつらねていた。
吉田清治の「吉田証言」は崩れた。思想信条や表現の自由はあるが嘘は許されない。