日別アーカイブ: 2013年10月26日

神仏談義

萩市からはじまり、いつもの8時半に美祢市の黄正吉さん宅に着いた「きのうソウルから戻った」で会話ははじまった。約1時間、会話のベルトが回った「いい話ができた」と笑顔で手をあげて見送ってもらった。
「いい話」は多分宗教談義のことだろう。宗教による助かりのようなことを問われた。問いには外れているがわたしの持論を話した。
例えば、少しの時間差で交通事故が回避できたのは、自宅を出るまえに靴のヒモをしめ直した。あのヒモのゆるみこそが神様がお前を救うぞ。というような理屈が多い。
戦地から生還した人はたくさんおなじような物語がそれぞれにある。
それならば、運動会が雨で中止になり子供は残念。つくった弁当もある。これは「おかげ」でないのか。
要は、私にとって都合のよいことが神仏の「おかげ」のような尺度では神仏の説明が困難になる。人類にとっておおきな惨状がおきても、肉親の不幸に嘆いても、それをいつかは受けとめることができて前に進もうとする心をいただくことが「神仏のおかげ」ではなかろうかと、どん底の悲しみの経験のないわたしが偉そうに言った。
ならば、金光教はなにを拝んで、どんなおかげあるのか。と問われた。それはわたしの急所である。
参拝していた教会に背を向けて約20年。その明快な理由はある。けれども去りきれない気持ちもあり、教団刊行物は購読している。いわば、金光教のまわりを人工衛星のようにまわっている。
その立場で善い話も反対の話もできない。

午後から録画した映画「フェイス・オフ」2時間を一気にみた。面白いストーリーを楽しめた。

火曜日。長女夫婦がご用をさせていただいている金光教太秦教会の大祭が仕えられる。家内は明日から二晩泊でご用奉仕に向かう。途中下車して播州龍野市の墓参りも予定している。