日別アーカイブ: 2014年2月9日

昨夜の出来事

きのう、黄正吉さんが歌手の新井英一に会いに行った理由は、昭和17年に宇部市の長生炭鉱(海底)水没事故(水非常と呼ばれた)の犠牲者183名のうち、朝鮮人130名が含まれており、その追悼行事に新井英一がゲストで来たからである。
正吉さんは、いわゆる強制連行された人と言われ、わたしは当時の西岐波小学校在校生名簿に、多くの朝鮮名を確認している。だから強制ではなく自ら働きに来たという立場。ましてや強制連行は昭和19年の終戦間際にはじまっている。

昨夜、8時すぎに正吉さんから電話「いま、新井英一と会って帰り道。強制連行とかなんとか意見のちがいはあるが、足立さん、あの事故は悲しい」わたしもほんとうに同感した。
それからしばらくして河村隆子さんが日記の「在日90年・ある在日女のつぶやき」を見てメールをくださった。
金優さん(つぶやき女の長男)の奥さんの李文相(イームンサム)さんが、私のハングル(韓国語)の先生です…ずっと落第生ですが。(河村隆子さんは韓国語弁論大会出場経験あり)

もちろん著者も読まれたメールの内容だった。

今度はわたしから正吉さんに電話をした「河村隆子さんが読まれたとメールが届きました」
色々会話を重ねたあと、わたしは本音を話した「正吉さん。大病を患いながら、美祢市の炭鉱で亡くなった同胞の慰霊や、チベットの歌手ヤンジンさんを招いて意義深い企画などすばらしいと思います」彼は「ヤンジンさんのときお世話になったことは忘れていません」と返してくれた。

「ある在日女のつぶやき」は半分まで読みすすんでいる。
言葉もわからない異国に来て、日本人がやらない仕事で生計をたて、そのたくましい生き方もあり日本人からの差別や偏見に苦労された。
正吉さんは、同胞が困ったことは解決に力を出す。わたしは、同胞とはいえ他人に無条件で、金にもならないことに寄り添うところに魅力を感じている。

今朝、母は車椅子になっていた。来週の日曜日は誕生日だからご馳走を食べようと別れた。