日別アーカイブ: 2014年2月27日

小野田寛郎少尉

沖縄に米軍が上陸する少しまえ、陸軍中野学校(諜報養成所)の訓練を受け、フィリピンちかくルバング島に小野田寛郎さんは赴任。本土決戦作戦など日本軍極秘事項も知らされ、しかし必ず巻き返し作戦を日本軍はやる。そのときまで潜み諜報活動をせよ。支給された装備と三千円(千円で家が建つ)を持ち島に行った。それが彼の任務だった。
以前放送され、観た番組「生き抜く」が再放送され録画した。

終戦から29年。ジャングルに潜み、夜中に蟻に鼓膜を破られるような過酷な生活。
ジャングルで島民や家畜が不審な死にかたをすれば、すべて日本兵の仕業とされ、のべ300回ものフィリピン軍による掃討作戦が行われ激しい銃撃戦があり、行動をともにした部下2名は戦死した。小野田さんは至近距離から撃つので無駄弾はなかった。

しばらくして、朝鮮戦争とベトナム戦争で、洋上や空を行き交うアメリカ軍に、日本の反撃が始まっていると信じた。

転々と密林を野営しても29年間の暦は正確だった。元旦は神棚をつくり合掌した。その神様について対談相手が問うた。この問答が、わたしの心にストン!と落ちた。
「神仏を尊び 神仏には頼らず」と背筋をのばして言われた。以下はわたしの推測。

きょう一日ありがとうございますのお礼は申し上げる。しかし、明日もよろしくとは願わない。明日は自分の力で切り開く。
切り開けなかったら神様のせいにしてはならない。

兄や父親の呼びかけには応じず、直接の上官からの投降せよ。との命令には従った。

帰国後、すぐに果たしたかった戦友の墓参りは、厚生省や各種団体が催す行事で遅れ。どこか違う日本が息苦しく、翌年全国から届けられた見舞金すべてを靖国神社に奉納してブラジルに生活の新天地をもとめた。

あらためて立派な人だと、わたしは思った。