日別アーカイブ: 2015年5月17日

鍵山先生と鎌田社長

母の朝食に付き合う予定で向かっていたら岡本拓也さんから電話「鍵山相談役(イエローハット)が来られます」と山口市内のスケジュールを教えてくださった。午後3時半ごろがよいだろうと提案もあった。
母はいつまで生きておれるかをわたしに聞く。食事が欲しくなくなったらお迎えかもわからんね。なにか心配なことがあるかねと尋ねた。
なにも心配はない。幸せです。と返事をした。月末の墓参りのとき、母が乗り降りして人生を刻んだ「JR直江駅」も撮って見せてやろう。握手でわかれた。
山際から木が農園にせまってくる。この時期は一回ユンボのパケットで枝や幹をバリバリ折ったり、掘ったりして敷地内への進入を防ぐ。3時間その作業をした。だいぶ操作が上手くなり、それが嬉しい。
健太。腫れはよくならないが食欲は出た。今朝は生卵を2個と牛乳。肉などは食べない。アリナミンを1錠喉に押し込んだ。
老犬の太郎さんは、健太が食べない肉をとドッグフード缶詰めなどを余分に食べて胴まわりが太くなった。
3時半。鍵山先生がお掃除されている現場に行った。東京から大勢参加でお掃除研修。
えりちゃん・松原酒店に宮川さん(宇部掃除代表)も参加されていた。
鍵山先生は掃除の手をとめて親しく話をしてくださった。
鹿児島の鎌田建設社長も西郷どんのような巨漢で排水溝を掃除されていた。68歳、元気いっぱいの本番の鹿児島弁で話されても、わたしは理解できる。
わたしがお掃除の会とご縁ができたころ、名刺交換したとき、都城市議会の会議録を作っていますと添えたら「都城市から近い国分市に会社があるから来てください。必ず」と言われた。
半年ぐらいあと、都城市に出張した便で国分市の鎌田建設を訪ねた。銅板葺きの大きな社屋。アリーナもあり、会社の消防団もある鹿児島県屈指の建設業。他にも老人ホーム・旅行業・旅館経営・ガソリンスタンドにカー用品店など多角経営。
霧島妙見温泉、料理の宿に案内され、露天風呂で鍵山先生に惚れ込んでいるワケを裸の付き合いで聞かせていただき、わたしの鍵山像がふくらんだ。
夜9時頃まで酒をいただき「明朝、地域の掃除かまありますから」と、浴衣をたたみスーツに着替えて帰られた。初代トヨタのセンチュリーとサイドカー付き大型バイクが愛車。
農園をはじめたときセンチュリーで来てくださった。わたしが祝杯でベロベロに酔っているとき、鎌田社長は地域の家々を訪ねて「足立さんの保証人の鎌田です」と名刺を配って鹿児島に戻られた。
鎌田社長の大きな手を握れたことは嬉しいことだった。