日別アーカイブ: 2015年7月20日

今夜も一人乾杯

連休の配達は、日頃お会いするお客さまが留守だたり、日頃は会うことはない家族が在宅だったりで、わたしも臨機応変に会話をする。
美祢の山間地域。釣り道具を庭先で整理されているご年配。わたしも以前は釣りを趣味にしていたので道具を拝見すれば獲物は想像できる。しばらく釣り談義。青海島の突端に青物(ヒラマサなど)のポイントがある。そこに行く陸路は道路から山を越えて徒歩2時間。みなさん瀬渡し船で行く、けれども船酔いするのでリュックを背負い山を越える。美祢を朝ゆっくり出て、仙崎で餌を買い、青海島に渡り歩き始めたら午後3時ぐらいに目指すポイントに着く。その頃に瀬渡し客は引き揚げたっぷり撒き餌が効いている岩場で2時間ぐらい釣り、薄暗いうちに車に戻る。よく釣れるらしい。
いつもはばあちゃんが待っているお宅。2ヶ月前からばあちゃん入院。昼間は勤務の奥さまがクーラーボックスを日蔭に置いている。その奥さまが在宅。ばあちゃんの容体を聞いた。大正生まれでたくさん苦労したから気持ちが強い。足が不自由になり、それでも下の世話を拒み懸命にトイレに通うと目頭をおさえられた。
焼夷弾の宇部空襲のなかを逃げた母も大正生まれ。それは言わずに頷いた。
きょうの日記もビールと蕎麦焼酎を飲みながら。酔いが回ったが日記は終わらずテレビの相撲観戦中に階下の犬が激しく吠えた。階段をかけ上がる不審者の足音は岡本拓也さんだった。
布団は敷いていたが、夕飯の食器は洗い終わり、浴槽も洗っていたから掃除がお付き合いの拓也さんの奇襲にも安堵で応対できた。
農園奇襲の目的は、鍵山先生とわたしが先日、えり子さんのカメラにおさまったものを彼女がアルバムにしてくれ、太郎さん追悼の一文を鍵山先生がアルバムに書いてくださった品を、まだあたたかいうちに拓也さんが農園にお届けくださった。
とても嬉しい出来事だったからハイボールを開けた。