日別アーカイブ: 2015年1月17日

20年神 戸

牧君と朝4時半にホテルロビーで待ち合わせてJRで三ノ宮駅に向かった。始発電車の車内は通勤時間ぐらいの混みぐあいで、そのほとんどが三ノ宮駅で降り、寒くて暗い歩道を東遊園地に向け静かに移動する。歩道橋もぎっしり人の波が動く。幼い子供、車イスの人、ご高齢の人、これだけの人々が5時46分の時報をめざして、心をひとつにして歩みをすすめる姿には鳥肌がたつぐらい感動をおぼえた。
路上で使い捨てカイロを無料で配る心遣いのグループもあり気持ちがあたたまった。公園のどこがメイン会場なのか人混みでわからないまま、人々の頭が向いているほうに向かって立った。これだけの人々が静かに放送される時を刻む音に耳をすませていた。時計の音がその時間を告げたとき「黙祷」と静かにアナウンスされ群衆は脱帽し合掌をした。周囲からすすり泣きや、小さく嗚咽される声も聞こえた。
厳粛なこの時間、この場所に立ち会えてほんとうによかった。
わたしは、兵庫区浜山小学校避難所で、発災直後19日から避難所が解散された4月末、区切りの復興祭まで地域のみなさんと生活を共にして、困難をきわめるなかで、被災された人たちが生き抜く精神力を目の当たりで学ばせていただいた。それがわたしの背骨になった。
その浜山小学校避難所ボランティアの拠点となった場所は、倒壊した金光教岬教会。教会長の福原師が教会家族の世話と地域避難所の運営に尽力された。
きょうはその金光教岬教会で午前10時から震災後20年、お亡くなりになられた全霊様の追悼。命が助かり、今日まで生活の営みができたことを神様に御礼の祭典が仕えられ香山君も三田市から参拝され再会が叶った。
京都から神戸。わたしの人生、ひとつの区切りができた。