日別アーカイブ: 2015年1月31日

母は1月の命をいただいた

母はみなさんの手厚いお世話で1月を過ごすことができた。昨年7月、容体が悪くなり現在の病院に入った。見た目も数値も悪く、京都の長女は「会話ができるときに」と急きょ見舞いに帰った。
年末まで、正月まではとわたしの神参りをした。
2月は母の誕生月。誕生日のお祝いができることを、わたしの祈りの内容にさせていただく。

8時からラジオ「耳で聴く短編小説」をタブレットで聞きながら山口市から萩市までの山越えルートを走った。
ラジオは、小学生のとき同級生の母がアメリカ人シングルマザー。泊まりに行った夜、ベッドの彼におやすみのキスを頬にした。それはアメリカでは日常であっても、ブルーの瞳で白い肌、奇跡のような美人からのキスで少年は「いつか結婚したい」と強く思った。
それから月日はながれ、彼は成りゆきで結婚した女性と離婚。会社は倒産して40歳。
いま何をしなければならないかを考え続けたあげく、60歳はこえた初恋の彼女に結婚を申し込みに仙台に行く。短編小説とはいえ男と女の心模様に聞き入った。
美東から秋吉、急な下り坂の難所「雲雀峠」の手前から、ラジオが聞き取れないほど大粒のアラレが車の屋根を叩き、車間距離をあけている前を走るトラックのわだちが雪で平らになるほど激しい降雪。
12月に冬タイヤを装置して、先日の木曜日に走行が一万キロを越えたのでタイヤローテーションをした。雪の下り坂は安定走行できた。

昼ごはんにロング缶を飲んで1時間昼寝ができた。
「朝まで生テレビ」を3時からみて(イスラム国)寝不足が解消した。
イラクに介入したアメリカ。その後のイラク統治が不安定だからの現在だと思った。フセインが健在なら安定していたのかもわからない。